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古事記について

2021/05/06

以下は『古事記』崇神天皇条からの抜粋であり、ある神社に関連する伝承です。
ある神社とはどこの神社でしょうか。
 崇神天皇の御代に疫病が流行って、人が死に絶えそうになりました。天皇は愁い嘆かれ、清らかな神床にやすまれました。すると、大物主神が夢に現れて、「意富多多泥古によって我が御前を祀らせたならば、国は治められるであろう」と宣言したのです。これを聞いて、意富多多泥古を探し、河内に暮らしているのを見つけて連れてきました。天皇は「おまえは誰の子か」と尋ねると、「私は大物主神が陶津耳命の娘の活玉依毘売を娶って生んだ子の子の子の子で意富多多泥古と申します。」と答えました。天皇はおおいに喜んで、すぐに意富多多泥古を神主として大神を祀らせたのです。また、宇陀の墨坂神に赤色の楯矛を奉り、大坂神には黒色の楯矛を奉り、坂の御尾の神と河の瀬の神にもれなく幣帛を奉りました。これによって、疫病は治まりました。

 

1.石上神宮
2.大神神社
3.大原野神社
4.葛城一言主神社

 

正解 2.大神神社

 

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