吉田兼倶と吉田神道
2020/05/19
吉田兼俱に関して書かれた以下の文章を読んで空欄( )に入る言葉として正しいものを選んでください。
祠官側からの神道説として提唱された伊勢神道は、吉田神道へとつながっていきます。吉田家の本姓は卜部で、その後、古典の研究をもって家職とするようにもなり、卜部兼方が編んだ『日本書紀』の注釈書である( )はその代表的な著述です。
兼倶は応仁元年(1467)に神祇権大副となりますが、応仁の乱が勃発します。この時期においても、兼倶は幾人かの弟子に神道伝授を行っています。文明8年(1476)には、神祇伯を世襲した家柄である白川家に対抗して「神祇管領長上」などと称しました。
1.日本紀略
2.日本書紀纂疏
3.日本書紀私記
4.釈日本紀
正解 4.釈日本紀
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