国学成立以前の日本研究
2019/10/28
以下の文章の事業とは何の編纂事業でしょうか。
この事業は明暦3年(1672)に本格化した。計画では、「本紀」「列伝」「志」「表」の4部から成る漢文の紀伝体で、神武天皇から南朝の週末までを叙述する予定だったが、実際に着手されたのは「本紀」「列伝」の2部門だけで、それも正徳5年(1715)に至ってようやく一応の成稿をみた。神武天皇以前の神代を除外している点には、中国風の儒教的な歴史観、とくに朱子学のそれに立脚していたことが窺われる。
その後、この事業は約半世紀にわたって停滞する。これを再興したのが立原翠軒である。翠軒は萩生徂徠の学統を受けており、また、翠軒は「紀伝」の本文の校訂のために塙保己一を起用するなど、国学者の協力を求めた。
なお、「志」と「表」を含めたすべてが完成したのは、明治39年(1906)のことであった。
1.古文成分
2.古史通
3.国史大系
4.大日本史
正解 4.大日本史
神社の豆知識はこちら https://www.jinja-kekkon.net/menu/library
以下の文章の事業とは何の編纂事業でしょうか。
この事業は明暦3年(1672)に本格化した。計画では、「本紀」「列伝」「志」「表」の4部から成る漢文の紀伝体で、神武天皇から南朝の週末までを叙述する予定だったが、実際に着手されたのは「本紀」「列伝」の2部門だけで、それも正徳5年(1715)に至ってようやく一応の成稿をみた。神武天皇以前の神代を除外している点には、中国風の儒教的な歴史観、とくに朱子学のそれに立脚していたことが窺われる。
その後、この事業は約半世紀にわたって停滞する。これを再興したのが立原翠軒である。翠軒は萩生徂徠の学統を受けており、また、翠軒は「紀伝」の本文の校訂のために塙保己一を起用するなど、国学者の協力を求めた。
なお、「志」と「表」を含めたすべてが完成したのは、明治39年(1906)のことであった。
1.古文成分
2.古史通
3.国史大系
4.大日本史
正解 4.大日本史
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