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幕末維新について

2017/02/21

幕末維新について

④慶応3年(1867)、徳川慶喜は。(   )で大政奉還を行った。

1.京都御所
2.二条城
3.伏見城
4.淀城

正解 2.二条城

〜解説〜

徳川慶喜が大政を奉還すると表白したのは二条城である。
 幕府が始めた第二次長州征伐は、初めから勝ち目がなかった。苦戦のうちに十四代将軍の家茂が大坂城で亡くなり、徳川慶喜が十五代将軍となった。慶応2年の暮れである。
 以後も長州での戦局は好転せず、孝明天皇の死をきっかけに慶喜は長州戦争を停止、撤兵せざるを得ない羽目に追い込まれた。兵庫開港の勅許をとりつけたあたり、政局逆転の芽がないわけではなかったが、倒幕勢力は慶喜の思惑を超えて成長していたのである。
 慶応3年10月、土佐藩から慶喜に対して大政奉還が建白された。坂本龍馬の「船中八策」を土台に、土佐の重役の後藤象二郎が、合議政体への移行を理論付けたものだ。この建白には、慶喜が新しい政権の主となる展望が示されていた。慶喜は承諾し、二条城に在京諸藩の重役を集めて、大政を朝廷に奉還すると表白した。